【歴史】長圓寺墓地の紹介その3~祇園社宮司の墓~


以前から、長圓寺と小倉祇園社(現・八坂神社)との関係はブログの中で何度も扱ってきた。
もともと隣同士であるということを主に取り上げてきたが、ここに来て色々な関係性が推測されることとなった。

その事は、当ブログ(新着情報)の中で少しずつこれから明らかにしていきたいと思っている。

画像は、小倉祇園社初代宮司高山孫太夫定直の墓である。元和三年(1617)
その他、明治時代の宮司・高山出羽守藤原定政も当墓地に眠っている。

元々小倉祇園社は、細川忠興公の命により小倉南区長尾の祇園社を南殿、三本松の祇園社を北殿として勧請し鋳物師町に社地を定めた。
北殿には蒲生八幡宮より高山孫太夫藤原定直、南殿に篠崎八幡宮より川江左衛門橘種茂を迎え、代々両氏が交互に務めたそうである。(後に高山氏が単独継承)


さて、今年に入ってから歴史は相当に動き始めている。

先日、小倉一の宮・蒲生八幡宮宮司であられる高山定美氏がお出でになり、高山孫太夫定直の墓前に手を合わせられた。

高山氏のお墓がまさかお寺の中にあるとはご存知なかったそうで、小川研次氏から話をお聞きになり大変驚かれたそうである。

実に四〇〇年の時を越えて・・・。



いろいろな思いがこみ上げる。

江戸(元和)・幕末から明治という宗教の大変革期。
そして大正・昭和・平成と・・・。

神社と寺院。
お互いに一筋縄ではいかない時期も、もしやあったのかもしれない。

しかしここに新たな一歩を迎えたものだと感じている。



近い日に、お礼の参拝にお伺いしたいと思う。