【ブログ】平成29年度秋季彼岸法要

平成29年9月20日

秋のお彼岸の入りの日、当山長圓寺の秋季彼岸法要が執り行われました。

だいぶ涼しくなったとはいえ、幾分蒸し暑さの残る気候となった1日であり、

本堂内はエアコンをつけての法要となりました。


実は、当初お越しいただく予定であった布教師の先生が、法要前日にギックリ腰になられました。

私も腰が弱く、今年の7月には2日間ほど歩けなくなるほどのギックリ腰になりましたので、

無理は絶対に禁物だと自覚しておりました。

ということで、今回の秋彼岸法要は私のつまらない法話でいくかもしれないと覚悟していたところ・・・

色々な方々のご尽力により、急遽ある方がご法話に来て下さりました。



なんと、生往寺の安永宏史上人よりご法話賜りました。

「このお彼岸のお忙しい時期に前日アポで安永先生が布教に来て下さった。」
同じ浄土宗の関係者の方がこの事をお知りになったらきっとびっくりされるでしょう。

もちろんお寺が近いからという大前提はありますが、本当に偶然が重なった結果でした。


そして無事に、平成29年度秋季彼岸法要を勤めることができました。
貴重なご縁に、心より感謝申し上げます。


【歴史】忘却の彼方~閻魔大王~


当山所蔵、閻魔大王像である。

実は、約半年前までは何故あるのか縁起もわからず、ただ本堂の隅に祀られていた。

しかし以前、当ブログでも触れた「小川さんの来訪」から始まった、くだんの歴史探索により

様々なことが明るみになってきた。

以下『小倉市誌』の記述より

「鋳物師町 此の鋳物師町より平松口御門迄を帯廓と云ふ。
  東蓮寺あり。焔魔の木像あり。正月・七月十六日に地獄極楽の絵を掛く。諸人参詣す。
   (中略)此の夜鋳物師町にては花火を揚ぐ。 ・・・。」

東蓮寺とは当山長圓寺の末寺で、
大門側から日豊本線鋳物師踏切を渡ってすぐ右手に明治初期まで存在した。

本尊は阿弥陀如来(現存)、そしてこちらの閻魔像があったという。
残念ながら、地獄絵図は存在していない。

小倉城下の閻魔像と言えば小倉北区長浜町の閻魔堂が有名である。
こちらも同じく浄土宗の円応寺さんの末寺である。

先日、円応寺のご住職と談義させていただいた。

ここからは推測であるのだが、東の長浜、西の平松いずれも漁師町であり、源流は同じである。
その方々からの深い信仰があったのではないか。

また、閻魔像を祀り地獄極楽図の絵解きを行うことは
浄土信仰にとって重要な教化の材料となったのではないか、ということである。



さて、もう一つ興味深いことがある。

その昔、常盤橋を渡った現・室町交番の辺りは牢獄があり、処刑人はそこを出発し

地獄橋(現・極楽橋)を渡り、日明処刑場(首切り地蔵あり)へと向かった。

船で向かったという説もあるが、市中引き回しの刑ならば当然、鋳物師町を通ったはずである。

地獄橋の手前にある最後の寺院は金蓮寺観音堂(現・鋳物師地蔵尊)。
こちらも長圓寺の末寺であった。


このことに着目された小川さんは、題して「獄門ウォーキングツアー」を企画された。

先月・今月と旅のスタートに長圓寺閻魔大王への参詣を選んでいただいた。


江戸時代、小倉城下の庶民の信仰を集めていた東蓮寺閻魔像。

消されていた記憶から再びよみがえり始めたのだと感じている。

だが、それは閻魔像だけに限った事ではない。まだまだ他にも判明したことは数知れず。

いずれまた。

それにしても、彩色も剥がれ眠っていた閻魔像であるが勢いはなかなかである。






【ブログ】地蔵盆供養 馬頭観音!?


8月24日は、地蔵盆。

鋳物師町地蔵尊の盆回向に参りました。

今年も地域の方々が、立派な果物や生花をお供えしておられました。

この鋳物師地蔵尊は、明治時代まで長圓寺の末寺として存在した金蓮寺観音堂の跡地にあります。

基本的に座像のお地蔵さんで、中央のお地蔵さんには台座もあります。

興味深いのは、中央のすぐ右側にある石仏で、こちらは三面の石仏です。

帽子と前掛けの為、全容が見えません。

恐らく馬頭観音だと思われますが、庚申信仰や神仏習合系も否定はできません。

今度ゆっくりお参りして、よければ拝見してみたいです。



お堂の前を通ると、いつも燈明が点いているのが見え、

人々の信仰の篤さをうかがい知ることができます。

お堂の向かい側、旧国家公務員宿舎は既に取り壊され、マンションが建設されるとの噂があります。

数年後には周りの景観も変わっているかもしれませんね。


【歴史】ガラシャの観音~ある檀家さんの回想録~

「細川ガラシャの観音」

以前、驚きの話を教えてくださった檀家さまに、
お盆参りで1年振りにお会いする機会があったので、もう一度詳しく伺うことにした。

以下、証言である。

それは、現在90歳代になられたHさんがお嫁に来られてすぐ、つまり今から約70年ほど前の事。

当時長圓寺境内にあった観音堂の中に閻魔大王像があり、その奥に黒い厨子があったという。

当時の住職とその奥方からは、
「細川公から預かったといわれる大切な物。」
「絶対に厨子の中を見てはいけない。」と言われていたらしい。

その厨子からは異彩のような光を感じ、見ると十字架のような文様があったという。

当時、その観音像には教育委員会の文化財調査が入り、調査が完了したと住職から聞いたとの事。 

以上。


現在、厨子に入った観音像は長圓寺に存在しない。


わずかに残された史料として明治時代に書かれた寺院所有物の目録がある。

その中に書かれている仏像類と、現在残っている仏像を照らし合わせると・・・

2体の観音像が足りないことが、発覚した。いや、気付くのが遅すぎる・・・。



まず考えにくいが、戦後の大変な時期にまさか売却したのか?

あるいは昭和中期、ほぼ無住状態となった折に厨子ごと持ち去られてしまったのか?

今となってはわからない。

果たして、どのような観音像だったのか?

先日ネットニュースに、
盗まれていた仏像が京都で見つかり、元の福岡の寺院に返ってきたという奇跡が報じられた。

盗難に遭ったかどうかは何とも言えないが、
ほんの数十年前までは安置されていたという事実。。。一度でも手を合わせてみたかった。




【ブログ】灯篭流しのご報告


昨日は、小倉仏教会灯篭流し法要が行われました。

心配していた天候も、むしろ暑いくらいに晴れ渡りました。




お盆供養の行事として小倉の皆様にしっかりと定着し、

また各御寺院様の教化活動・ご協力の賜物により当日はたくさんの方がお参りになられました。

私も小倉仏教会執行部としては最後の担当年度となりましたが、
3年間貴重な経験をさせていただきました。

来年度からは真言宗さまが引き継いでくださいます。

今後とも、小倉仏教会灯篭流し法要を何卒宜しくお願いいたします。