【長圓寺の歴史】細川家とのつながり(不定期連載)その2

さて、腰の重い私が、もう一度改めて長圓寺の歴史を調べることとなったのは、
奇しくもこのブログにも起因があった。


ある日、本堂の瓦を眺める一人の紳士がいらした。

お墓参りの檀家さん??ではない・・・。

遠くから会釈し、目が合うと、こちらに来られ

「確かに九曜紋の瓦ですね。ガラシャのマリア像についてのブログを見ました。」

とお話になられ、驚く私。。。


確かに、以前、長圓寺住職のO型ブログに書いた。

その記事内容は、うちの檀家さんの言い伝えである。
長圓寺には「細川ガラシャの秘仏・マリア観音」があったとか、なかったとか。
詳しくは➡「細川ガラシャ」O型ブログ



さて、本堂を眺めておられたその方は、
小川さんと名乗られ、そこから沢山の興味深い話を教えてくださった。

私も食い入るようにそのお話に耳を傾けていると、

日本で最初に作られたワインは細川小倉藩の物であり、
その目的は細川ガラシャ追悼のために使用されたのではないかと推察したことから、
細川家について小倉城下・熊本・京都はもちろん、世界を回って調査されているとの事。

『小倉藩葡萄酒事情』という著作も拝見させていただいた。

小川さん・ワイン。。。

・・・あっ。

その方は、小倉のワイン界で有名な小川研次さんであった。

私の父とは、某国際社会奉仕団体の会員として一緒に活動されておられ、
生前中の父からは、その御名前を聞く機会があったのを思い出した。

まさかこんなご縁があるとは・・・。

これを機に、改めてもう一度長圓寺の歴史や細川家とのつながりを調べてみようと考えたのであった。



【長圓寺の歴史】その1