【コラム】ベトナム人青年 グァンさん(仮名)
檀家さんの葬儀を終えて寺に戻ると、本堂の前をうろうろしている若者がいた。
少し不審に思いながら、声を掛けると、
「きのう、おじいさんがなくなりましたから、おねがいします。」
アジア系の外国人青年だ。
「本堂をお参りするということですか?」
と尋ねると、「おねがいします。」との事。
鍵を開け案内し、とりあえず線香をあげるように促した。
彼は、丁寧に礼拝をしていた。
話を聞くと、ベトナムの出身で、エンジニアとして北九州に働きに来て半年だという。
その割には、日本語がとても上手だ。
先ほどまで、檀家さんの悲しみに満ち溢れたしめやかな葬儀を執り行ってきた私は、ベトナムでお祖父さんが亡くなった彼の気持ちを察するに、
「帰りたくても、そう簡単には戻れないから、とても残念ですね。お祖父さんの名前は?」
と声を掛け、阿弥陀さまへ追善のお念仏を称えた。
すると彼は、「ベトナムでは、すぐちかくのお寺でおいわいをしました、ありがとうございます。」
という晴れやかな顔と意外な言葉が・・・。
(お祝い??、お祈りのこと?やっぱり半年じゃ日本語って難しいよね。。。)
心で思いながら、
「また、近くまで来たらどうぞお参りしてくださいね。」
そう声を掛け、頭を下げる彼を見送った。
そして庫裡に戻り、「ベトナムの仏教」を念のため検索すると・・・。
主にベトナムの仏教は日本と同じ大乗仏教で、輪廻転生の思想が徹底されており、死を迎えることは新しい門出と捉え、お祝いの儀式を行う。中には三日三晩お祭りを行うこともあるという。。。
「このたび浄土に往生せん(する)こと慶びの中の慶びなり。」
「無漏無生の国に生る、是れ曠劫の大慶と云わざるべけんや。」
拙僧は、まさしくその通りであると思うのだが、
果たして万人に、お通夜の席で素直に受け入れてもらえるのだろうか・・・。
考えさせられる一日であった。